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1,000 TIMES GOOD NIGHT
人々は、「何か」、感動のようなものを求めている。

TVの前で、皆で涙を流すようなタイプのものを。

皆と一緒にその場所で、そういう学園祭じみた場所に成長はなかった。

もしも彼らが、その場所に何か、幸福のようなものを感じているのだとしたら、

私はついぞ、彼らの仲間になることはできなかった。

私と彼らは、同じ人間であっても、違う種だった。

彼らは、協調し、共にあることを幸福とみなす人々、

私は、己の道を進む探求者。
成長する命の種子は、誰かの作品でも、盆栽の剪定でも、
自分が欲しい物に姿を変える「オモチャ」でもない。

命の重みとは、

正しく成長すれば、その命は、人を、時代を救い、守り、
その逆であれば、涼しげな顔をして、人を殺し、嘲り笑う、

それほどまでに別の姿に人相を変える『人間の多様性の中』に現れている。

大樹となり、年輪を重ねること、それ以上のことを決して子供に望まない。

若木の幹に縛り付けられた鎖の「首輪」は、子供を成長させることなく、
成長と共に、幹の中に食い込み、伸びる力を阻害し、命を腐らせる。
自分の人生をクリエイトできなかった者が、真に大人になるのは、人生の「第二の白いキャンバス」と言える自分の子供の成長した姿を見た時だ。

欲望だけが肥大し、平凡なる人生に甘んじる者が親になるということはどういうことなのか、人は、あまりにも長い時間をかけて、その重さを知る。

子供の将来は、子供自身の人生の余白であって、両親の『作品』ではないという事実の、「重み」を。

人生における自己顕示欲の投影は、唯一、自分が自分自身の人生に挑戦することでのみ、許可される。

その権利を蹂躙する者に、子供は教育できない。
最新のプリウスと誰の子か知らない赤ん坊、
どっちが欲しいかと聞かれたら、ほとんどの人間は、前者を答えるだろう。

それは、自らが欲するものとして、人は、自分が完全にコントロール可能で、
経済的に得をし、人に見せびらかすことができ、
自らが社会的優位性を誇示できる『もの』を欲していることを意味している。

現代人の子供への感情は、往々にして、『物欲の反映』である。

自慢できる子供であれば、高級車のように手入れをし、利用価値のない子供だったら、廃車にする。

資本主義社会では、人間の命は、最新の機械に劣る。
この社会は、人間より機械が繁殖しているように見える。

人間が進歩しているというより、機械が進歩しているように見える。

巨大な工場が生み出すのは、機械が産む、機械の子供達。
相手を瞬殺する凶器や一滴で死に追いやる毒物、

そういうものを脳内で構築している。

そして、そのモノそれ自体になる。

どれだけオシャレをしても、可愛らしい恰好をしても、

ニコニコ笑顔で写真に写っても、

本性は、殺人鬼。

まるで、映画チャイルドプレイの人形のように。
この社会の最大の脅威は、名もなき大衆達の脳だ。

一度構築された脳神経回路は、加齢と共に衰えることはあっても、再編成することはできない。

それが、時間の重みなのだ。

彼らは、社会が産み落とした生成物であると同時に、完成品である。

未成熟な脳に組み込まれた見えない凶器で武装した、半獣半機械の奇怪生物達。

彼らが利用する機械は、既に彼らの手足となり、それなしでは生きられない。

機械の熱源が排出する排気ガス、放射性物質、土に還ることのないエネルギー利用の転換こそが、大衆が真に理解すべき社会問題の本質。
時代の遺物と粗大ゴミ
社会という電化製品の勤続部品、
時代の落とし物。

または、貶し者。
何者にもなれなかった者は、他者に低き裁定を下す裁判官になることによって、存在しない自分ブランドを築こうとする。

存在しない自分のブランドを誇ることに躍起になる者が、他者の優れた才能の前で立ち止まることはない。

私を語り、私を見せしめ、私を理解させようとする、自分の頭の中は、常に自分の常勝、それだけなのだ。

何もせず、何もしないまま、何者かになろうとして、硬くなり、重くなり、沈みゆく自我、

その者は、ただひたすら、病床で人生の終末を過ごす無為なる老人へと歩み続けている。

自我の目指す方向とは別に。
個人としての名もなき個人を追うな。

彼らは総体としてのみ、本質を現す。

大河を流れる水を掬い取っても、その水を生み出す源流や潮流、大河そのもののミニアチュールが姿を現すことはない。

水は、低きに流れる。その流れに、重力に抗い、自由意志を持ち、遊泳する個体、水から陸へ、哺乳類からホモサピエンス、大衆から、名を持つ個人へ。

極寒の氷河期、灼熱の温暖期、ただひたすら、死を乗り越え、生き続けようとする生命の鼓動、種の中に内包化された意志。

生命とは、生衝動原理と生殖複製能が組み込まれた、有機化学生成物。
残虐なる笑いとは、勝者の証明である。正確に言えば、生存競争に耐えた「遺伝子のフォルム」だ。

彼らは必ずしも、自ら、多くの命に手をかけてきた訳ではない。

歴史上、数千年、数万年もの間、形を変え、繰り返されてきた政治統制者の恐怖政治に、沈黙と共に耐えてきた「下々の民」の束の間の「幸福感」。

それは、権力に立ち向かい、敗れ去り、見せしめとして、晒首に、絞首刑に処された者達の姿を見つめる「その瞬間」である。

その瞬間の記憶だけが、彼らを「無為なる生」へと駆り立てた。

無為なる生は、生贄という糧を求める。
この社会は、巧みな知性を持った動物達が群生するエコノミックジャングルである。

彼らは、人間が食物連鎖の頂点に立つ上で最大の強みとする知能を、獲物の喉元に噛みつく獅子の牙のように、毒蛇の毒牙のように、排泄物を塗り付け、縄張りを主張する猛獣のように、自己の生存と生殖のために利用している。

強き者だけが生き長らえる経済荒野の中で生得的に培われた知性は、温かみを持たず、毒を塗った鋭利な刃物のようであるが、その中に秘められた、屍の上に累々と築き上げられた人類の時間に、今更ながら、少しの敬意と悲しみ、虚無を想う。

FH

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