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希望の光か、

地獄の炎か、
自我は、自己が持つ感覚感情統合認識ユニットを経由し、世界を見ている。

故に、彼らの目に映るものは、いわば、彼ら自身の姿を映す鏡。

仮に、この世界の真の姿が見えたとしても、世界は地獄なのだが。

高貴さから世界を見渡せば、世界は地獄、

地獄の底から世界を見上げれば、世界は、希望の谷。

己の立ち位置によって、見える景色は異なる。
自分が誰か、または、何かにしていることは、

いつか、または、今現在、

別の形において、誰か、または、何かに自分がされている。

知的生命は、その根源的理解において、外部物理現象から生じる他者と外部事象そのものを区別できない。

物と人の区別は、観察者の精神的成熟の中にのみ存在し、その根源を成す自己の行動動機において、世界(外部事象)の諸事象は、保護されるべき外部事象(非破壊対象)、利用すべき物(自己利用のうちにのみ価値が内在する)、破壊すべき事物、破壊できない事物として、主観的にただ、認知されている。
定住農耕民族の脳内生産計画能力は、本来、自領農地の作物生産計画に使われてきたが、彼らの大部分が資本主義社会において、企業労働に従事するようになり、もはや必要と無くなった農地生産計画に関わる農耕民族的知能は、子供の資本主義的生産計画に使われるようになった。

ペーパーテストの得点の多寡により、家庭内での扱いが貴賓にも汚物にも変わる。

塾通いは、生産性を向上させる肥料であり、推奨され、一方、子供が音楽やダンスなど、全国紙試験型競争以外に興味を持つことは、作物の収穫高を減らす無益な雑草と見なされ、むしり取る。
1,000 TIMES GOOD NIGHT
人々は、「何か」、感動のようなものを求めている。

TVの前で、皆で涙を流すようなタイプのものを。

皆と一緒にその場所で、そういう学園祭じみた場所に成長はなかった。

もしも彼らが、その場所に何か、幸福のようなものを感じているのだとしたら、

私はついぞ、彼らの仲間になることはできなかった。

私と彼らは、同じ人間であっても、違う種だった。

彼らは、協調し、共にあることを幸福とみなす人々、

私は、己の道を進む探求者。
成長する命の種子は、誰かの作品でも、盆栽の剪定でも、
自分が欲しい物に姿を変える「オモチャ」でもない。

命の重みとは、

正しく成長すれば、その命は、人を、時代を救い、守り、
その逆であれば、涼しげな顔をして、人を殺し、嘲り笑う、

それほどまでに別の姿に人相を変える『人間の多様性の中』に現れている。

大樹となり、年輪を重ねること、それ以上のことを決して子供に望まない。

若木の幹に縛り付けられた鎖の「首輪」は、子供を成長させることなく、
成長と共に、幹の中に食い込み、伸びる力を阻害し、命を腐らせる。
自分の人生をクリエイトできなかった者が、真に大人になるのは、人生の「第二の白いキャンバス」と言える自分の子供の成長した姿を見た時だ。

欲望だけが肥大し、平凡なる人生に甘んじる者が親になるということはどういうことなのか、人は、あまりにも長い時間をかけて、その重さを知る。

子供の将来は、子供自身の人生の余白であって、両親の『作品』ではないという事実の、「重み」を。

人生における自己顕示欲の投影は、唯一、自分が自分自身の人生に挑戦することでのみ、許可される。

その権利を蹂躙する者に、子供は教育できない。
最新のプリウスと誰の子か知らない赤ん坊、
どっちが欲しいかと聞かれたら、ほとんどの人間は、前者を答えるだろう。

それは、自らが欲するものとして、人は、自分が完全にコントロール可能で、
経済的に得をし、人に見せびらかすことができ、
自らが社会的優位性を誇示できる『もの』を欲していることを意味している。

現代人の子供への感情は、往々にして、『物欲の反映』である。

自慢できる子供であれば、高級車のように手入れをし、利用価値のない子供だったら、廃車にする。

資本主義社会では、人間の命は、最新の機械に劣る。
この社会は、人間より機械が繁殖しているように見える。

人間が進歩しているというより、機械が進歩しているように見える。

巨大な工場が生み出すのは、機械が産む、機械の子供達。
相手を瞬殺する凶器や一滴で死に追いやる毒物、

そういうものを脳内で構築している。

そして、そのモノそれ自体になる。

どれだけオシャレをしても、可愛らしい恰好をしても、

ニコニコ笑顔で写真に写っても、

本性は、殺人鬼。

まるで、映画チャイルドプレイの人形のように。
この社会の最大の脅威は、名もなき大衆達の脳だ。

一度構築された脳神経回路は、加齢と共に衰えることはあっても、再編成することはできない。

それが、時間の重みなのだ。

彼らは、社会が産み落とした生成物であると同時に、完成品である。

未成熟な脳に組み込まれた見えない凶器で武装した、半獣半機械の奇怪生物達。

彼らが利用する機械は、既に彼らの手足となり、それなしでは生きられない。

機械の熱源が排出する排気ガス、放射性物質、土に還ることのないエネルギー利用の転換こそが、大衆が真に理解すべき社会問題の本質。
時代の遺物と粗大ゴミ
社会という電化製品の勤続部品、
時代の落とし物。

または、貶し者。

FH

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