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人生において、最大の過ちを犯す時、

人は、風のように、空気のように、
先を急ぎ、エレベーターのボタンを押すように、
過ちを犯す。

うら若き日々に、恋愛をすることなく、白髪の老婆となった女性が、
若かりし頃の自分の姿を回想し、過去を後悔するように、

人が人生の過ちに気付くためには、

プラットホームの人ごみのうねりの中、
独り、立ち止まり、彼らを眺め続けるような、
別のベクトルの「時の流れ」を必要とする。

時の流れそのものに身を任せている時、
人は、その「時代の潮流」の観察者たることはできないのだ。
未知なるものへの憧憬こそが、生への糧
格好いい、インテリジェンスなフレーズを組み合わせ、どこかで聞いたような哲学者だか、文学者の名言風の言葉をひねり出す。

おそらく彼は、何度でも何度でも、言葉を変え、同じような名言自動生成を披露できるのだろう。

中身がない。

その薄っぺらいが、煌びやかでハイセンスな言葉のコーディネートの下にあるものを覗き込む。

貧相な顔、貧相な体をした、裸のまま、俯いた少年の姿が見える。

彼にとって、言葉は、学問は、自分を輝かせ、価値あるものに見せる、ファッションだった。

間違った場所に咲いた、綺麗な花のような。
芸術、言論における影響とは、一つのレンズフィルターのようなものである。

影響を受けた対象の力を借り、特定の色彩や被写体をより際立たせることが可能であったとしても、描写されるべき、眼前に映る風景の解像度は、見る者の視力による。

だが一方、剽窃行為は、限りなく黒に近いグレーだ。

そこに視点と呼ぶべき、透明なる視覚、濁りなき心の作用は存在せず、

盗み取ったアイデア群の無秩序的接合、自身の創作物として偽装するための表層的塗装、

それらの行為から立ち現れるのは、実存しない、異形なる物のレプリカに過ぎない。
人と人との関係から生じる問題に、学校も企業も家庭も社会も違いはない。

日々、報道されている事件は、小さな綻びの累積から生じる大きな亀裂である。

責任者という言葉の真の意味は、問題が起きた場合の処刑であり、その結果として、人々は、問題を解決するのではなく、隠蔽することに心血を注いだ。自分が処刑されないように。

その場所、その者だけが気づく、問題の芽が芽吹き、放置され、大事件へと発展する。

社会問題の本質は、処刑される者ではなく、何者かを処刑することで問題が解決されたと考える社会の冷酷なる力学にある。
現代人は、タレントの不倫、薬物問題を凶弾することに熱中したが、

目の前に本当に存在している問題、

学校のいじめ、児童虐待、パワハラ、過労死、社会保障問題、原発、安全保障、

それらの問題に対して、「言葉の響き」以上の理解を示さなかった。

飼い主に名前を呼ばれた犬が、「餌!」という言葉に反応して、『涎を垂らす』ことはあっても、現代社会の諸問題を表す「ワード」に理性的に反応することはないように。

大衆たちの脳は、既に、収容所型(詰め込み式)教育という現代社会の病によって、回復不能なまでに侵されている。
何者にもなれなかった私達(大衆)の物語は、必ず、絞首台に吊るされ、息絶えた成功者の姿とその姿を見つめる観衆という形を取る。

彼らにもまた、彼らの物語(人生)がある。

成功者を絞首台に送るには、罪の詮索と流布が必要だ。

だからこそ彼らは、容疑者をつけ狙い、追い回し、それでも不十分なら、適当な証拠をでっちあげる。

そして、彼らは、口元に笑みを浮かべ、口から口へ、「私達の敵」の情報を共有する。

大衆とは、村八分的精神と生殖上の優位者への敵対感情を混合した「偽正義」によって動く、一つの巨大な勢力である。
醜聞の流布とは何か?

舵取りである。

自分にとって都合の良い状況へと風向きを変えること。

空気を換えること。

人々の精神は、汚染されている。

資本主義の広告通りに、幸福に生きている私は幸福であるという刷り込み。

夫、妻、子供、庭付き一戸建て、マンション、自家用車、

土産物の折り菓子のように、小奇麗にパッケージされた幸福のイメージ像、

彼らは流行のファッションを纏い、広告ポスターの中で、有名タレントが身に付けた商品に群がる。

服も髪型もメイクもあの有名人と全く同じだが、顔が殺人鬼の群集達。
社会のルールの中で、悪と規定される者の姿ではなく、

世界を覆い尽くす空気が汚染され、

人々が、その空気を当然のものとして吸い込み、呼吸することで、肉体と精神が汚染される。

その世界の現状こそが悪なのだ。

悪の中枢は、テロリストや殺人鬼の姿に見出されるものではなく、

工場から噴煙を上げる巨大な煙突、

道路を埋め尽くす産業トラック、自家用車から排出される排気ガス、

現代社会の背景に存在していたとしても、

美しい日本のポスターとして、決して描かれることのない、本当の社会の形の中に内包されている。
「差別」ではなく、「偏見に基づいた偽りの正義」
この窓からは、星が見えない。
全ての人々は、自分という物語を生きている。

そして、残念ながら、それらの物語の大部分は、優劣という壁の前で立ちふさがっている。

彼らは、孤独な牢獄のような場所で、地面にしゃがみ込み、

その場所で、壁に投影された、夢や理想という自分が構築した自分物語を今もまだ見続けている。

彼らが作り出したのは、夢ではない。

TVに投影されたかの如く、自分の夢物語が再生される、

その孤独な「私だけの場所、私だけの世界、私だけの楽園、私だけの夢。」

彼らはいわば、牢獄の中でTVドラマを見続けている観客なのだ。
深い傷を負ったもの、社会に適応するために、仮面を被っているもの、

彼らは、どうあれ、自身の本当の姿を、他者へさらけ出すことはない。

自身と異なる他者、高みから観察し、評価を下す看守、

目の前に存在しようとも、見えない壁で区切られた両者、

そこから、真の声は、導き出されない。
「人工的に形成された組織」は、仲間意識を形成しない。

その組織を一つの「国境線」として、人々は、自発的に、その組織内部において、独自の仲間意識、敵対意識を形成する。

学校とは、収容所型の一つの国家である。

教師を看守(為政者)として見た場合、実質的な勢力争いは、囚人同士、つまり、「生徒同士」で行われる。

思春期とともに、子供たちは、生殖欲求を実現すべく、活動が活発化する。

学校内での勉学、容姿、身体能力的優劣は、彼らにとって、原始的な大衆意識を形成させ、それと同時に、自己実現の機会を奪っている。
人間の精神には、トリガーが存在する。

それらトリガーが複雑かつ多様な者ほど、人生経験が豊富であり、

自らの前を通過する、ヒト、言葉、情景、様々なる情報から、その本質を抽出することができる。

だが、一方、それらのトリガーが、他者への嘲笑や敵意に限定されている者がいた場合、用心すべきだ。

彼らの前では、理性的、哲学的に芳醇なる情報は、すべて、風のように通り過ぎていき、

自らが憤慨する情報、ヒトを貶める情報の前でのみ、そのトリガーは引かれるからである。

他者を攻撃する銃弾を発射するためのトリガーが、

FH

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