FC2ミニブログPIYO

  • 2016.12
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
【最後】 そういうわけで、いつものように長々と書いてまいりましたが、ここを読んでくれた友人、もしかしたらPIYOの「ひろば」で見かけて読んでくださった方もいるかも知れないし(←期待しすぎ)、はたまた検索で何かのキーワードが引っかかったのがきっかけで読んでくださった方もいるかもしれないけど(←もっと期待しすぎ)、お付き合いくださり、本当に本当にありがとうございました。皆様のご多幸を心よりお祈り申し上げます。   とまと
【続き】 「若気の至りだわ、きゃっ、こっぱずかしい(*/ω\*)」という「恥」じゃなくて、「人としてみっともない!行動が伴っていないのに言葉だけが、まぁよくこんな、いけしゃあしゃあと…。恥を知りなさい」って意味での「恥」。
【続き】 書いている内容は、数日前に「やめよう」と思いついた瞬間の私で考えれば、正直に吐露した真実だけど、これを載せてる今の私からは全部空虚で中身のないウソに見えてしょうがない。この空虚でウソだらけの「やめる理由」が既に「恥」で、非常に居心地が悪い。このブログの過去記事についても、過去の時点では真実だったけど、今では全部ウソに見える。
【続き】 だから、一刻も早くブログやめたいと、体調良く過ごせてる土日を費やして一気に書き上げたわけでして。自己顕示欲と承認欲求の話を書いたけども、この「ブログをやめたくなった理由」の長々とした説明こそが、まさにその自己顕示欲と承認欲求を凝縮させたものである。すごい説明しづらいけど、つい数日前、私に「ブログやめよう」って“風”みたいなものが一瞬心を通りすぎたんだよね。その一瞬の気持ちを、少しでも伝えられるように言葉で書き表したら、どうしてもここまで説明せざるを得なかったというか。
【続き】 こうしてつらつらとこのブログをやめる理由を書いてきたけども、実は書きながら苦しくてしょうがない。古い自分は文章を書くのが大好きだったけど、今の自分はそこに意味を感じていない。「なぜか急に脱皮して、新しい自分に生まれ変わりました」という公表を古い自分の方法でやっているから。一度脱ぎ捨てた皮を、ここを読んでくれてる(かもしれない?)友人に挨拶と説明をするためにまた一旦着てるんだから、そりゃ苦しいに決まってる。(笑)
【続き】 もしかしたら、それができたらFacebookのアカウントがあることにも違和感を感じて消すことになるかもしれないけど。でも、Facebookだけは、もう既にインフラぐらいの役割になってて他のSNSとは違うから、アカウントを置いとく意味はあるかもしれないけど。どうしようか…(笑) とりあえず、今の私が見て違和感を感じる部分は消しとこうかな。
【続き】 ブチブチと体調悪いと訴える必要もないし、職場でのイヤなあれこれについてもあまり何も感じないし引きずらなくなったということは、泥部分がなくなったことに相当する。泥がなくなれば、澄んだ部分は上澄みではなく、容器の水の全部である。Facebookに書いてもはばかられないようなことのみを、実際に感じ、思い、考え、あとはただ実行するだけ。私という人間は、それだけで完結すればそれでいい。
【続き】 誰でもそうだと思うけど、Facebookって一番かしこまってるじゃん。ちょっとよそ行きの服を着てるような気分。けど、その自分がウソというわけでもないよね。結構きれいごと書いてる自分も、書いてる時点では本当に心からそう思って書いているのは、みんなも感じることだと思う。イメージとしては、泥水を容器に入れて置いとくとして、Facebookがきれいな上澄み部分だとする。
【続き】 Twitterの政伸アカウントを消したのを皮切りに、日常つぶやきアカウントもあんまり書く意欲もない。婚活ネタSNSも、2ヶ月で4件だけ書いたけど、それも違和感を感じてきて記事を消した。実はその婚活SNSに居心地の悪さを感じてやめたことから、ドミノ倒しのように途端にこちらも居心地悪く感じられるようになってきたんだよね。じゃあ、残ったFacebookはどうするのかというと、それが一番、今の現実の自分を反映している場になるかもしれない。実名だし、顔写真も出してるし。
【続き】 それらネット人格全部に、家でくつろいでる私や仕事してる私や親しい人といる私とか、現実の自分も全部あわせたものが“自分”だった。でも、現実世界のみ(即ち[考え]=[行動]のみ)で自分が完結していれば、これほど幸せで、自分が満たされて、快適で過ごしやすいことはないと気づいた。どこを向いても、どの立場の人に対しても、1個だけの“自分”。「どの場であっても、言動の責任に変わりはない」と主張するなら、こうあるのが自然。
【続き】 あと、今年6月に登録・設定したのだけはここにも書いたけど、某SNSもある。(実は婚活に関連してた内容だったんだけど) その中では、ここが本拠地のつもりで何でも書いてた。他の場所では体調や仕事のことはあまり書かないようにしてたりしたし。そんな感じで、それぞれの場所で載せる内容は違ったし、同じことを載せても視点や文体を変えてた。よくSNS間で投稿の連携とかあるけど、なんで同じ文章をアップできるのか、私から見たら不思議でならなかったよ。でも、それ全部のキャラは、全部自分として偽りはなかった。
【続き】 まー、別に結婚相手云々に関わらず、“ネット人格”の話ってあるじゃん。普段とネット上だとキャラが違ったり。それも、ブログやSNSの場所によってキャラを使い分けてたり。実名&顔写真のFacebookと、リア友が見てるアカウントと、誰にも知らせないでネットで知り合った人しかいないアカウントで書いてることが違うとか。私もこのブログだけだったのが、Twitterの日常つぶやきアカウントと、高嶋政伸さん専用アカウントと、Facebookと増やしていった。
【続き】 その感情を引きずりながら、生涯を共にする男性と心から正面を向いて関わっていくことはできない。嘘をつき続けている罪悪感を感じる。
【続き】 そういえば婚活の話だけども、前々から「結婚するとして、男性にこのブログを見て心変わりされるんじゃないかな」と思ったりもしてた。外ヅラ良くて中身はこんなんってのも含めて、私という人間を見てもらいたいし、長い人生を共にするのにウソをつき続けられるわけがないから、ここを隠したとて意味がないんだけども。でも、会って話してる時の態度の良さと、ここでの主張の強さ・自慢・愚痴という中身とのギャップに、私自身が後ろめたさを感じている。
【続き】 今は、実際に友達がたくさん増えたわけじゃないし、結婚相手が見つかったわけでもないんだけど、「私は寂しい」という感情の存在に気づけただけでも、だいぶ和らいだと思う。そうしたら、自己顕示欲や承認欲求も薄らいだ。職場でキッパリした態度を取ってもハブられないとか、服装を良く言ってもらえたり、婚活パーティーで指名をもらえたりと、[行動]の部分で現実に成果が出て自信が出てきたのもあるかもしれないけど、[書く・言う]の過程に必要性がなくなったし、逆に煩わしいぐらいになった。

とまと

プロフィール画像を表示
20歳頃から慢性疲労症状で半寝たきり状態でしたが、今は月10日ほど元気に働いてます♪

アイコンはピカソ風モナリザのつもり

2014年5月下旬から急に人間性が変わりました(笑) 削除せずに残しておきますが、それ以前に書いたネガティブなことは全リセットですのでヨロシクm(_ _)m

☆好き
楽器、お茶全般、コーヒー、酒、字を書くこと、イラスト、DIY、地図、電車、水泳、サッカー、バレーボール、ダンス、映画、ドイツ、冬、ぬいぐるみ、コップ、バッグ、横浜駅周辺

PIYOトモ一覧

ぴよぴよワード