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あなたがわたしであると錯覚する隙間はどこに潜んでいるのか。きっと落とし穴のように。
メタフィクションにおいて読者≒プレーヤ≒視聴者の存在がほのめかされるとき、一旦はあちら側に触れる兆しを感じながらも所詮、わたしとあちら側との隔たりに打ちのめされるほかない。メタフィクションにおける「あなた」≒「わたし」は新しい登場人物のひとりに過ぎない。だからわたしはあなたに嫉妬するのだ。しかしわたしが、あなたに託せるものはないだろうか。
「退屈な反復作業」と「インタラクションへの中毒」を結びつければ革命が起きる。
孤独を感じるときは、ゆめをもっているあるひとを好きである自分が、ゆめをもっていないことを知るとき。
境界を越えると、新しい孤独に足を踏み入れる。境界の向こう側から、境界の内側に手を出すことはできない。境界の外側から、境界の向こう側に手を出すことはできない。越えられない境界は、逃れられない孤独を知らしめる。
「だれからもみれらない存在がある」という想像は可能であるか。ある「だれからもみれらない存在」を想像することは不可能だ。どこかにあるかもしれないし、ないかもしれない、という想像ならば可能か。あるかもしれないという意味は何か。
存在は認識から独立するか。認識がなければ存在は(あると断定でき)ない、という考えは、コミュニケーションを求める本能がみちびく答えであると思う。言い換えるならば、存在は孤独に耐えるかどうかだ。認識されない世界の存在を認めるならば、孤独の世界のどれだけ多いことか。これを悲しむひとは、きっとその存在を認めない。それを尊ぶひとは、しかし認識してしまっているから、持論を握りしめるきっかけにはならない。
こうすればよいだろうと思いつくことはあっても、実際にそれをやるひとはほとんどいないんだよ? だったら、ぼくはその多くの凡人のうちでいいや。こんなに信じられることはない。しかし、そんな自覚は凡庸であるか。思いつき、しかし実行しないことと、思いつき、しかし実行しないと記述することはべつだ。
はたして、
繰り返し
によって、
境界
の、
向こう側
にいけるのか。
もしも、近似のためのあらゆる試行が、より確かに近似していく試行であるとがわかれば、こんな希望はない。そうであるか、どうかは、その視点を越えた視点から確かめられるとも限らないのではないか。単に空想じみても、思う。
きっと、こういうことがいえる。近似によって得られた答えと、近似を越えた答えとの違いを認識するためには、近似を越えた答えを得るための視点をもたなければならない。近似によって答えを探しているときに、その答えがどれだけ理想に近似しているか、はたまた理想であるかどうかを思考することは無駄だ。
時間という次元を越えた視点は何か、考えてみた。単純に思い至ることといえば、4次元による時空間、その世界の、次元、無数の平行世界といえば陳腐だが、それらを束ねたものであると理解することは簡単だ。または、対象の時空間とはべつの時間軸から観察した、対象の時空間の集合、またはその差異からも、対象の時空間の次元を越えた視点を得られるかもしれない。
あることと、あることでないことの境界を理解するためには、あることの向こう側を知らなければならないと聞く。あること、そのありったけを出し尽くしていけば、すこしずつその境界に迫っていく、近似していく、のではないかとも期待する。しかし、あることでないことを定義できなければ、境界は決定的でない。では、近似による境界と、境界の両側から定義される境界、その違いは、現実的に決定的であるか。
第3視点なる概念が登場するゲームをプレイしている。豊かなもの、複雑なことを理解しようとすることは、たくさんある次元を凝縮することのように思う。ゲームのいわゆる2週目でスキップを使用するとき、時間軸は圧縮されていると感じる。しかし、それは時間を越えているとはいえない。ある次元を圧縮して得られるものと、ある次元を越えたものは、いかに異なるか。いつの瞬間に、次元を越えることができるのか。
デザインのよさを大ざっぱに分解するなら、学習のし易さ(変数1)と、学習したときの目的達成コストの逆数(変数2)の、掛け算であると思う。ところで、3Dアクションゲームはある程度慣れれば楽しいのかもしれないが、慣れようというきもちにならない。こんな姿勢で、慣れたら、と想像するのは無茶かもしれない。単純であることや似たり寄ったりであることは、変数1を大きくする。ではどうすれば、変数2を0よりも大きくできるのか。

きをふし

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