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カトリーの父親って、サーハイマンじゃないかな?髪の色とか目の色とかかなり似てるよな。殺されたと思われていた姪っ子・カトリーをエルシャールが引き取って育てていて、数年後、失踪していたサーハイマンの消息が分かり、彼に娘を引き会わせるために、エルシャールも「失踪」したとか。⋯にしてもあの発言からの失踪はカトリーちゃそに対してあまりに酷すぎるやろ英国紳士⋯!
戦りたくて戦りたくて堪らないんだろう。欲動を、もつこと自体は自由だ。どこまでも自由だ。実際に「戦る」ことと、「戦りたい」欲動をもつことは、限りなく隣接してはいるけれども、違うんだから。欲動自体を、いくら隠蔽したところで、印象操作の堂々巡りが続くだけだ。淳一郎を英雄として讃えたいのなら、かれのマッドサイエンティストさを、堂々と賞賛すればいい。憧れて憧れてやまないのなら。危険なものを、危険なままに、ガンガン露出させて取っ組み合ったほうが、絶対に面白くなる!
L5作品の魅力は、その狂気にあるんだろうがーッ!!!
ダン戦の「ねじれ」は、LBXを文字通りダンボールの箱庭の内に収めておくことができずに、世界そのものをルール無用の戦場≒淳一郎の「遊び場」に成し果ててしまったことにある。暴力を制御するための強化ダンボールだったのに、一作目から『ダンボール戦機』の意義を有名無実にしてしまった。とにかく、【ホビー感覚で、重火器を使った、なんの規制もルールも存在しない戦いを、しまくりたい。】危険な、ディストピア極まりない世界だけど、それこそが欲望の根幹にあるんだろう。いいじゃん。承認しちゃえよ、暴力への欲動を。
バンくんが、友達を奴隷化した父・淳一郎に怒るよりも、彼を赦すことを優先してしまった時点で、色々なものが崩壊してしまった。オーガ小説版で浮き彫りになったのは、「サッカーやろうぜ!」=「(必要ならば)戦争やろうぜ!」という簡潔なメッセージ。ある意味、優等生的な脱戦後宣言だ。でもダン戦は、その奥のさらなる本音、【重火器をガンガン使った、戦争やりたい。】をぽろっと漏らしてしまっている。その「危険な欲望」それ自体を、承認しかねているから、ねじれが生じているんだろうな。
セレディのテロも、遥のネグレクトも、ビネガーの露悪も、尽く「なんとか、淳一郎には批判の矛先が向かないように、印象操作をしたい。そのうえで、淳一郎が行なった暴力の傷跡を、修復したように見せかけたい」欲望と結託している。本気でセレディが【真の戦争】を人々に突きつけようとしていたのなら、毒ガスポッドなんて迂遠な仕込みなどはせずに、LBXで直接人体を襲撃し、死傷させていただろう。淳一郎がホビーとして世に送り出した、LBXで。
※一瞬とはいえ、そういうLBXのヤバさを露出させてしまったイナダン映画、いいよね。
https://www.amazon.co.jp/dp/B00K8ICVFG/【そこで待ち受けていたのは、グラウンドに倒れたサッカー部の部員たちと、学生服を着た謎の少年の姿であった。】
「学生服を着た」という表現に窺える絶妙な婉曲性
何度観てもGO1一話いいな⋯。天馬くんと剣城くんと一緒にGO1一話視聴したい⋯(倒錯)!
豪炎寺さんグッと麗しくなったなあ 特に豪炎寺さんと風丸くん、アレスで超カッコ麗しくなったね!
豪炎寺さん不動さん壁山くんみたいに、無印であんま見られなかった人たちのやり取りをアレスで見れたりするの、いいね。もう公式で積極的におみくじみたいの作って、ランダムに引いた人たちの組み合わせでお話作っちゃうのも面白いんじゃないかな。こんだけ選手達もマネージャー達も沢山いるんだし、そういう偶然性で展開していくのも割と真面目に面白いかも。
対症療法的に「世界は救われた」宣言をして、システムの問題はそのまま温存しておきたい。淳一郎を英雄と讃え続けるために、遥を用意する。ヒビキ提督は風刺できても、淳一郎だけは、どんなに子供達を傷つけていても、英雄扱いをやめたくない。星二郎による奴隷化と淳一郎による奴隷化に違いがあるのか?財前は円堂教プロパガンダを後援し、淳一郎が兵器をホビーとして供給するのを黙認する。温子/マリナ的な陰陽の〈母〉の呪いと、淳一郎/イゼルカント的な〈父〉の横暴の板挟みになって苦悩する守/バン/フリット/チャップ的な〈息子〉たち。
淳一郎教。極端な露悪の後ろには「突かれたくない痛い箇所」があるものだ。ビネガーの露悪描写には、淳一郎万歳をしてしまった、疚しさがある。しかし、あれを見よと「大悪」を強調して描いても、「小悪」たちが「無悪(無害)」には、ならない。「企業」を描こうとすると、腹を据えて「そんなの知ってら、悪人上等!」とは居直れなくなる。腰が弱る。代わりに「大悪」を持ち出して、小悪の印象を薄めたい。だが、「大悪商人/小悪商人」の分割は、ダン戦の「良い科学者/悪い科学者」単純二極分割の、二の舞そのものじゃないか。
スナックワールド主人公の目的は当初は純粋に「復讐」のみで、世界をどうこうする心算はなかった。しかし、途中から仇敵が「世界に破滅をもたらそうとしている」ことを告げられ、私怨による復讐に、「大義名分」が付加される。USAピョンがキレた時に銃乱射するのは、『ボウリング・フォー・コロンバイン』的な社会問題の戯画化で、「虐められた者が逆襲するのは当然だ。」と私怨による復讐を承認している。でもスナワでは、わざわざ復讐に「世界的(社会的)な正義」が用意される。聖戦化。「小さな物語」が、「大きな物語」にすり替えられる。
膨れ上がる企業を悪に位置付ける態度は、自罰的だ。批判を先回りして回避する、先制防衛。でも、「企業の営利追求」自体を悪に描くのは違うんじゃないかな?カルヴィニズムじゃあるまいし。武器商人が武器を売ろうとするのは当然だろう。企業が営利を追求するのは、当然だ。個人が欲望を追求していいんなら、企業だって営利を追求していいに決まってる。妖怪メダルで荒稼ぎしたって、全然いいんだぜ。買った人も、いっしょに楽しめるものを作ってるんだから。とか偉そうに言う。企業という「システム」を、人格化することに問題があるんじゃないか?
「戦後民主主義からの脱却」を掲げているものの、敗戦トラウマに基づく罪悪感に統制された、テクノフォビアに縛りつけられている。加えて、「搾取」と言われるのが怖い。ために、内心では資本主義的なものを大肯定したいのに、できない。〈男性性〉に内在することへの陶酔と後ろめたさが、軍事技術への憧れと屈折した嫌厭感情のごちゃ混ぜドロドロ葛藤劇を生み出している。でも、テクノロジーへの憧憬はやまないし、ミリタリー的なホビーは大好きだし、でも、〈母〉の呪いが「そんな野蛮なものはいけません!」と縛りつけている。
スナックワールドゲーム版のラストにちょっと不満だ。ガルシルドの時から「黒幕は武器商人。戦争で儲ける奴が悪だ!」をやってるけど、買い手がいなければ売り手も現れないだろう。
供給側を「より責める」姿勢は、レイトンMJの在り方と密に関わっている。もちろんゲーム的に分かりやすいボスを設定する必要はあるんだろうけど、妖怪1のラスボスの空洞化は、妖怪ウォッチの「ナンセンスさを享楽する」在り方とマッチしていた。しかし冒険の目的に復讐を掲げる物語で、「金の亡者が世界を滅ぼす!」は、「話をずらされた感」があるな。
奪われたとしても、取り返す気満々なんだ。
大好きなものを奪われるかもしれないのに、「なんとかなりますよ。」って立ち向かえるの、ほんとうに凄いな。大好きなものを、大好きな気持ちを大切にするから、こんなに強くなれるんだな

もみじ

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