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この度、「FC2ミニブログPIYO」は 日本時間 2025年06月02日(月) 午前10時 をもって、サービス終了とさせていただくこととなりました。

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ご利用のお客様には大変ご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます。

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いや異性のためだけにおしゃれをしてるんではないよ、という反論も当然あるだろう。でもどっちにしたって人目を気にしておしゃれをするのは間違いない。誰からも評価されずいや時に罵倒されてもおしゃれをしたいというならそれは凄いと思うが、その時にはもうそれはオシャレなのか?という域に達し、その人の称号はおしゃれさんではなく個性的な変人になっているはずだ。
相手に会った時この人は自分好みのキャラとどれだけ一致しているかをまず図る。つまりまず基準が頭の中にはあるのだ。だからこそ「ありのままの自分」をそのまま愛する人と出会える確立というのはおそろしく奇跡に近い。
逆に相手好みの偶像を見た目だけでも演じればそれだけ相手の気に入る確率は上昇する。そして相手はテレビなどで得たジェンダー像をベースに好みを作成する。すなわち流行のおしゃれをすることはそれだけ一致する可能性があがる。
もうちょっと進むと、マッチョとか巨乳とかメガネとか制服とかいった細かいキャラ分類をしてそれに恋するようになる。これは見た目に限らず舌たらずとか天然ボケとかの性格、いやもっと普遍的に、背が高いとか優しいとか足が速いとか、一つ一つがキャラクターとして認識される。ある個人が好きだと思っても、実はそれはそういうキャラクターに恋をしているのであって個人そのものではない。
話を恋愛に絞って、単純に考えてみる。
異性というのは自分との共通点がほとんどない存在だ。よくわからないので何かで知識を得なくてはならない。核家族社会の昨今、その知識を得る導入部分としては、テレビとか漫画とかじゃないかと思う。そこである程度のキャラ分類、男らしいとは女らしいとは、というジェンダー幻想が形成される。
育った環境にもよるかもしれないが、最初に恋をするのは生物学的な異性でも特定の個人でもなく、この幻想そのものに対してだ。アイドル(偶像)は実体としてわかりやすい。
いやまあ、オシャレをすることは生きていくうえで絶対必要なことではないかもしれない。人がどう見ようと気にしないぜ的な強い個性と自我の持ち主ならそれでいい。が、こちとら親父譲りの気にしぃなので、ただただ自信をなくし不安になる悪循環。
そんでもって地味で素朴で無垢なのは若いうちは美徳にもなるけど、年をとるとありのままの自分を愛せというのはかなりの無茶ぶりだということに気づく。
うちの両親は若干アニムスアニマが逆転してるというか…言葉が悪いかもしれないが父親の方が神経質で女々しく、母親の方は化粧っ気もなくてほとんど専業主婦の時代に経済事情とは別に共働きを貫いた人。服装とかも当然地味。逆にそれが素朴で自然でいいと思い込んでもいた。おいらが赤いTシャツを買っただけで派手すぎるとか色気づいたとか言われたくらいだ。流行の格好をしようもんなら即ぐれたと思われる、そういう家庭だ。
だから実際おしゃれの仕方が今もってわからない。
先日生まれて初めて髪を染めたよ。まあそんなに目立つ色じゃないけど。たいていの人間にはそれがどうしたって話だよ。でもおらあね、まじめなだけがとりえの人間だから、これえらいことなのよ。親の教育がクソまじめで過保護だから。
だけどね、結果的には良かった気がするよ。やるまですごい悩んだけど。
さっきまで暖房設備のない部屋で作業してたんだけど寒すぎて今こたつに避難しました。カイロ使ってもダメでした。上着複数枚着こんで更にブランケット。手袋にボアスリッパ使ってもダメでした。寒すぎですぜ。
あれ、こんなに長期間書いてなかったのか。まあもういっこのとこは半年放置してるけど…
多分ね、学者とか作家とかは人間的にダメな人じゃないと出来ないと思うよ。
ノーベル賞なんてのはね、あらゆる意味でダメな人間に送られる賞なんだよ。社会的にダメを極めちゃった人が、人類を揺るがすものを生み出せる。
だって普通に社会性ある人なら、それで満足して新しいものを生み出そうなんて面倒なこと考えないもんね。どんな研究も革命もそうなんだと思う。
偉人の伝記を読んでると変人しか出てこないのはそういうとこだよ。尊敬とかしちゃいかん。先生とか言ってちやほやするのはもはや冗句。
そういえば以前都知事の悪口を言おうとしてウィキペディアで彼のページを調べたら、祖父とか弟とか三島とかいろんなコンプレックスが見えて同情してしまい何も言えなくなったことがあるw。天才になれない凡人の悲哀。思春期的な否定。分析対象としてみるとちょっと面白かった。
とはいえ感覚的に嫌いなことには変わりないが…
都知事はもともと自分の意見と相いれない人の意見を聞けない人。良く言えば独創的、悪く言えばわがまま。若い時はそれが青春の退廃的な感覚として評価できるが、まあ5060で同じことしてちゃいかんよな。そしてメディアの世界なら勝手なこと言ってもそれは自分の責任でしかないが、民主主義の国家の首都のトップの政治家として、同じことしてちゃいかんと思うよ。
本当にもう現行の芥川賞撤廃したらどうだ?w
直木賞はちゃんと安定して売れてる人を表彰するんだから意味があると思うけど。
純文学って定義が難しいのよ。
芥川作品が好きな人ほど、芥川賞作品には首をかしげたくなるかもしれない。自分が読んできた芥川作品て感覚の斬新さより日本語の美しさとかの方が感じるんだよね。前衛的芸術というよりは洗練された書道の掛け軸を見たような。菊地寛が何を目標としたかはわからないけど。
ちなみに直木三十五は読んだことがないw直木賞に比べてこの知名度の低さ。
今年も芥川・直木賞受賞のニュース。どっちももう罰ゲームみたくなってるなw嘘でも名誉ですって言っとけw
受賞した作品の価値はさておき、あれもう選考委員がおかしいんだもん。悪書狩り都条例を推し進めてる人に評価されたって嬉しかないw
別にあの人らが認めようが認めまいが、面白いものは勝手に売れてくし、歴史にもちゃんと残るよ。それより出版社がちゃんと作家を育てられるようにする環境作りのが大切。
少し話が逸れてきたが構わず続けよう。矛盾するようだが、本当に究極に満足をしたいならそれは絶望してしまうことだ。ファウストをくじけずに最後まで読むと本当の満足がなんなのか書いてあるw諦念もまた悟り(究極の満足)の方法の一つである。
言っておくが、人類愛なんてのは孤独な誰にも愛されない人間の発想だ。特定の誰かがいればその人のことだけ考えればいいわけだし。ルサンチマンもいいとこ。
年末に聞く第九(歓びの歌)なんかちゃんと聞くとすごい歌詞だぞ。
と考える自分が歪んでんのかなあ?w

箱庭生活

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大人になれない大人の妄言。ただ叫びたいだけだ、気にするな。春風のように受け流せ。それが大人だ。

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